浅野 愉衣さんにインタビュー!
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芸能人を目指したきっかけは何ですか?
小学生の頃からお芝居には興味はあったのですが、声がコンプレックスでした。
でも24歳の時、アニメBARで働くようになったのがきっかけです。
仕事柄アニメをよく見るようになってから、自分のコンプレックスを活かしたいと思うようになって、そこから声優を目指すようになりました。
そして、感情を声だけで表現するためには、まずは役者としてきっちりお芝居をやっていきたいなと思うようになりました。
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周りの人に芸能人を目指していることを話していましたか?
徳島ではタレントとして活動していたので、家族やファンの方々には話していました。
お母さんはいつも応援してくれていました。
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芸能人になるためにどんな努力をしましたか?
私は、お芝居も歌もダンスも感情をのせるという意味では共通しているものがあると思っていて、まずは表現する力・度胸を身につけるために路上ライブを毎週行っていました。
歌はとにかく下手でしたが、だからこそ路上で歌い続けました。
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今まで芸能活動はされていましたか?
地元ではライブを中心として、ラジオパーソナリティや歌のお姉さんとなどタレント活動をしていました。
東京に出て来てからは完全フリーだったので、事務所にも所属が決まって本格的に活動していきたいなと気持ちを新たにワクワクしています!
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思い描いていたイメージと違う部分はありましたか?
面接の時に社長が詳しくお話してくださって、きっちりしている・信頼性のある事務所というイメージ通りでした!
また、人間関係がとても良いです。
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今所属しているプロダクションを選んだ決め手は何でしたか?
案件数が多いということや、何より社長が誠実でした。
事務所を選ぶ時に重要視してるのは、事務所との相性ですかね。
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今一番大変なことは何ですか?
生活するための仕事と芸能活動を上手く両立させることです。
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目標は何ですか?
最終的には、声優として国民的アニメのレギュラーになること。
とりあえず、まずは年間で100案件お仕事出来るようになる事が近々の目標です。
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narrowユーザーに向けて伝えたいことをどうぞ!
一番の敵は自分なので、しっかり意志を持って行動してください。
本気でこうなりたい!と思えば、目標から遠ざかっていく事はないと思います。
そして、出会う全ての人は、必ず自分に気づきや教えなど、何かしらのプレゼントをしてくれています。
いつも、感謝の気持ちを忘れないことが大切だと思います。
成功は人のおかげ、失敗は自分のせい。笑顔の花を枯らさずお互い頑張りましょう!
プロフィール
浅野 愉衣 アサノ ユイ
1988年5月17日生まれ
[ラジオ]FMびざん「ゆいのモコモコ・うっふん」パーソナリティ [ラジオ]四国ラジオ「バンリク!」パーソナリティ [ドラマCD]日本民話「おばあちゃんの日本人形」まり役 [スチール]マイナビ広告
取材協力
NOT INCLUDE
たくさんのテレビ局や映画会社にも太いパイプを持っており、年間2,000件以上の案件を抱えていますので、頑張り次第でチャンス多数!
映画製作のほか、一昨年よりCM制作も開始。所属者は当然優先的に出演させますので、ますますチャンスが広がりました!!
ボイスに関してはゲーム・ラジオをはじめ、外画のアテレコでも実績が急増!ボイスノベルの制作もスタートし、現在第一弾作品「お荷物ダメリーマンときどきエリート 会社を救う!?90日の戦い」が発売中。http://book.dmm.com/detail/b671agobs00171/
事務所にはスタジオも併設しており、稽古など環境も充実しています。