初めまして! 都内で役者の活動をしている、中村ナツ子と申します。
この度narrow様からオファーをいただいて、舞台の活動についての文章を書かせていただくことになりました。
ここでは、私がどのようにしていわゆる「舞台女優」という形の活動をするに至ったのかを書かせていただこうと思います。
その前にまず、数点ご注意を……
(1) あくまで私の場合です! これが正解ということではありません。あくまでご参考程度にお読みください。
(2) 私は「売れる」ことよりも「自分の糧になるような良い舞台に出る」ことを目的として活動しています。目的・目標が異なる場合も参考にならない場合があります。
(3) 24歳という遅めの年齢で演劇を始めた者のケースをご説明しています。10代の方の場合も、もしかしたら他のやり方のほうがいい可能性もあります。
「演劇をやってみたいけど、どうやって舞台に出たらいいのか右も左も分からない!」という場合、あるいは「20代も半ばになってしまったけど、やっぱり演劇活動をする夢を諦めきれない!」という似たパターンの方には、女優の活動を始めるルートの1つとして参考にしていただけるかもしれません。
ともかく、あくまで「こういう人もいるんだ」程度に読んでもらえればと思います。
舞台女優を目指したキッカケ
小さい頃からごっこ遊びが大好きで、その延長に漠然と「お芝居をやってみたい」という思いがありました。
が、その他にも「ピアノをやりたい」「歌をやりたい」「文学を学びたい」「映像制作に関わる仕事がしたい」などなど様々なことへの興味が尽きず、お芝居には一切関われないまま大学を卒業して就職をしてしまっていました。
卒業間際に歌舞伎鑑賞にハマり、そこから流れ流れて小劇場観劇にもどハマりしており、就職から2年ほど経った頃には、週に2~4本ほど観劇するレベルの演劇オタクになっていました。
そんな日々の中でお芝居への気持ちがどんどん大きくなり、「そういえば私、やる側になりたかったじゃん」ということを急に思い出しました。
その時点で24歳。演劇は全くの未経験です。
「待てよ、今を逃したら、始めるのが相当大変になるのでは…?」
そんなゾッとするような気付きがあってから、まず始めたのが養成所探しでした。
いきなり劇団の団員募集に応募するというのも有りだと思うのですが、私の場合は本当に未経験すぎて何をしたら良いかもよく分からなかったため、まずは基礎の基礎を身に付けるために芝居を教えるための機関で教えを乞うのが良かろうと考えたのです。
養成所の選び方
養成所と一口に言っても色々あります。大きな劇団に付属している「~座研究所」といったもの、芸能事務所に付属しているもの、独立している演技の専門学校のようなもの……
その中で私は、声優事務所付属の養成所を選びました。
理由は、週に何本も演劇を見ている中で、声優として活動されている方のお芝居が好きだなと感じることが非常に多かったからです。
目指したい役者像や憧れの役者さんがいる場合は、そのイメージに近付けそうな養成所を選ぶと良いのではないでしょうか。
ただ、「ゆくゆくは所属を目指してアニメやゲームの声優になりたい!」というよりも、「舞台でお芝居をする上での訓練がしたい」という気持ちの方が遥かに強かったため、声優養成所の中でもカリキュラムが舞台にも役立ちそうな内容、舞台の活動を多くされている方が講師をしているといった点で絞り込んでいきました。
そして最後の決め手は、家から近いこと! 通う上で私の場合はここが重要ポイントでした。
この観点から選んだのが、声優事務所「81プロデュース」の養成所「81アクターズスタジオ」でした。
当時会社員だったことや、事務所の所属を目指していないという点からも、毎週日曜日の授業に1年間通う「週1コース」に通っていました。週1とは言え1回の授業は2時間半もあり、かなり充実していました。
アニメに合わせて台本を読む授業もありましたが、発声や筋トレといったお芝居をやる基礎の体作り、朗読や落語といった授業もあって、声を中心に鍛えて舞台に立てる基礎を付けたいという目的はかなり達成できたように思います。
もちろん、養成所に通っていた1年だけで役者としてどこにでも通用する身体や技術が身に付いたのかと言われたら全くそんなことはありません。
が、養成所に通うことでどういった訓練方法をすればいいのかが分かったので、卒業後も養成所で学んだことを自宅や稽古場で意識し実践していけるのが大きなメリットだったと思います。
このような感じで養成所に通って多少お芝居の勝手が分かってきた頃に、劇団に応募してみました。
次回は劇団に応募して実際に舞台に出演したときのことをお話しようと思います!
ライター・舞台女優・デザイナー: 中村ナツ子
映像制作会社に新卒入社していろんな部署を転々とし、ある日突然役者をやりたいという夢を思い出して退社し、そのままお芝居に出る傍らデザイナーをしながらなんとか生きている人